野田さんのドキュメント
先日、衆議院議員の野田聖子さんのドキュメンタリーが放送されました。
「私は母になりたかった ~野田聖子 愛するわが子との411日~」
「SKY IS THE LIMIT」
可能性は無限大
野田さんが好きな言葉だそうです。※野田さんのblogより
野田さんは50歳で卵子提供を受け、妊娠→出産
野田さんのお子さん、片手に乗ってしまうぐらいの小さな身体に、聞いたことのない名前の病名がいくつもついていました。さまざまな疾患、病気を産まれながらに抱えた、いわば健常ではない状態。
そして、生まれてすぐに身体が傷だらけになるような、手術を何回もしていて、その治療中にさらに、また別の病気が発覚し・・・。ほんとに素人目では、生きていることが奇跡のような赤ちゃんでした。
これは自然妊娠ではないことや高齢出産など、さまざまな要因があるかと思いますが、今回はこの問題については割愛。
ドキュメントでは野田さんとお子さんを約1年間を追いかけていたものだったので、そこで終わっていましたが、個人的に、この番組からエゴと生命についてとても考えました。
野田さんは番組タイトルにあるように、「母になりたかった」のか否か。
生まれるまえから、大病を患っていることがわかり、それでも出産。
この行為は、親のエゴなのではないのか。
これはきっと私以外の人でも簡単にいきつく思考だと思います。
でも、その考えこそが自分のエゴなのではないか。。。
たったひとつの命。
産まれた子供が健常だろうが障害があろうが、親になるということは、それらさえ瑣末なことといえるほど尊いことなのかもしれません。
以前、教育実習でお世話になった学校の先生が私に教えてくれました。
「障害を持つ子供がいることを恥ずかしいと思っている人は、むしろ健常なお子さんをもつ親御さんだけ」
また、とある聴覚障害を持つ友人はこう言いました。
「聴こう、話そうと思って頑張っているときが一番ツラかった。私は私の人生、聴こえない人生、しゃべれない人生を生きればいいじゃん。と思ったとたん、すごく楽になって、毎日が楽しくなってきた」
大変そうだ。
そう思っている次点で、私は障害をもつかたたちを、自分と同じ目線で見ていないことに、これらの言葉で気付かされました。
今回このドキュメントを観おわって、そのときの感覚と同じものをいだきました。
きっと野田さんのお子さんは、後遺症が残ったとしても、両親を恨むことはないと思います。
ただ、これはあくまでも想像ですが。
少なくとも、自分自身が子供の立場だったら、恨みはしないだろうなと。
実は私も右手の親指の付け根を幼い頃やけどをし、左手と同じように開くことができません。もちろんアザもあります。結構な歳まで母親は私に皮膚移植をしろと、ものすごく勧めましたが、私はあまりその必要性を見いだせず現在に至ります。
確かにピアノを習っているとき、実害はありましたが(頑張ってオクターブがギリ)、それでも運指を工夫したらクリアできる楽曲も多くありました。
母親は私にやけどを負わせたことへの罪悪感がずっとあったのだと思いますが、私自身は全く気にしていませんでした。
やはり、この世に生を受けた以上、最終的には自身が「どう生きていくか」なんだと思います。
多分このドキュメンタリーそのもの、野田さんの生きかたなどには賛否両論あっただろうと思います。
でも、そんなもの、野田さんのお子さんしかわからないでしょう。
なんか、結局こんな感想ですみません(笑)。
SKY IS THE LIMIT. 真輝くんに幸あれ!