webサービスと編集
ここ数日、ついったーって面白いの? ってメールをもらうんですが、ま、流行もんです(笑)。
そんな感じです。
実は1年前、仕事でTwitterを導入しようという案件があって、全然わけわかんない中いろいろやってたんですが、私の中ではTwitterのサービスが企画の実現に乗っかるのことが不可能と判断し、結局導入しなかったんです。
あ、企画とサービスのマッチングはよかったですよ。問題は別にあってね……
※基本的に、Twitterは発信する ってアクションがないとなりたたないサービスなので、発信しなければ まったく意味ないんです。
そうなんですよねぇ。新しいものが出てきたから使いましょう。じゃ、バカ過ぎるってもんです。
何を乗っけたら面白くなるかなーってその可能性を考えなくちゃね。それが面白いんで。
正直、blogもTwitterもそうですが、全然重みがないんですよね。それがいいところでもあるんだけれど。
確かに何百年後に、歴史を鑑みるうえで、平成時代の日本はこうだったとか、人びとの暮らしが記録されていることはいいとは思うけれど、ほかになにがあるのかなーって考えるときがあります。
先日インタビューした編集長が「もう活字に力がなくなった」って言っていたんですが、この発言をきいて、なんか長年抱いていた、つかえてた何ものが私から落ちた気がしました。
幼い頃の私にとって、雑誌や新聞に書いてあること(活字)は、全部が“本当”だった。
たとえ内容がウソであっても、あの頃の私にとっては“本当”だったんですよ。
それを読んで、たとえば音楽雑誌ならアーティストのことを妄想したり、へぇーそうなんだ、と知った気になったり。だから今でも雑誌をそういう見方で見ているんです。
だけど、もう今は違う。みんなが自由に発言して、ウソであろうが本当であろうがそこは重要視されてないし、それらに意味なんか持たなくてもいい。デザインも写真もみんなそう。
もうそういう時代なんだと思うんです。
だから、実は私はもうこの仕事にこだわらなくてもいいかなーって思っているんです。
先日とあるデザイナーさんも同じようなことおっしゃってて、シンパを感じた次第。
正しい文法や気持ちのよい構図やらなにやらを勉強したうえで、デザインや文を語れる人がweb業界に増えてくれたら、また違う方向にメディアが舵を切れると思うんだけどな。
いや、でも、別にこれはweb業界に限ったことじゃなくて、テレビも同じで。
昨日のFSN歌謡祭で、歌詞のテロップで“少しづづ”ってあるアーティストが何人もいたので、ありえないけど、わざとそうなのかと思ってしまったほど。※最後の誰かだけ“少しずつ”ってなっていた。
たぶん、大半の人は、気にもしてないし、どうでもいいことなんだけど思うけれど、やっぱり私にとっては、雑誌やテレビで世の中に出る以上“本当”であってほしいのです。いつまでも。