おいしいものは人を救えるか

こんな仕事をしていると、なかなか同業者(編集者)と会うことってないので、きっかけは何であれ同士を見つけるとなんとなくうれしい気分になります。

先日知人の一人が転職をしたのですが、まぁ、話を聞くに大変そう。
個人的には結構いろいろ思うところがあったのですが、なんか同調するしかそのときはなく、なんとなくそれがひっかかっていたんですよ。そして先日の【心が折れた事件】なわけで。そのとき、なぜかこの知人のことを思ったわけです。“タイミングを逃したらダメなんだ”的な。
知人は私よりタフそうだし、きっと全然大丈夫なんだろうけれど、それでも日々心が折れているだろうなと。
って、これは勝手な私の判断なのですけど。
結局、食事でもいこうという、なんとも情けない誘いをした私でございますが(笑)、同業者としてお互い叱咤激励する関係性でありたいので、知人にはふんばってほしいなぁと。

人のことを100%理解することなんて不可能であり、つきつめることは無意味なんだけれど、それでも相手のことを理解しようとする思いってのは失っちゃいかんですね。

私のまわりの友人たちは「近いうちおいしいものでも行きましょう」という定型文がすでに組み込まれた携帯を使っているらしく(笑)、こぞってそのようなメールが来ますが、確かにおいしいものやお酒を飲むとHAPPYな気分になります。だからといって、現状解決にはなにひとつなってないことも、みんな知ってます。
しかし今宵も「おいしいものでも食べにいきましょう」という約束が、HAPPYを求めて、どこかで交わされているのです。

でも、私、この手のあいまいな約束って嫌いじゃないです。