朝青龍と保守とリベラル

巷でニュースになっている朝青龍のサッカー問題。
この話題の際、どこの番組でも議論しているのが処分(2場所謹慎)について。
「もっと厳しくてもよかった」
「まぁ妥当ですね」
「相撲ファンのことを考えてない、(朝青龍)を出さないのはファンを裏切ってる」

まぁだいたいこんな回答が主流なんですが、これらの回答から回答した人の心理というか、保守的かリベラルかがちょっと垣間みえるんじゃないかなぁと。

私は伝統とか歴史を、それに対しての知識もない人たちが壊していくのはどうも納得がいきません。
自由という意味をはきちがえるでないぞ。と。
伝統も歴史も勉強したうえで、それらを愛し、だからこそ新しいものを生み出していく、変えていく、という発想は大好きですけど。というか、本来の姿でしょ。それが進化ですよ。
結果的には現状打破なので、同じなんですが、中身は全然ちがうんですよ。
では両者の違いとは?

先日仕事の仲間にも言ったのですが、前者は1回は大当たりするかもしれません。でもそれはあくまでも偶然であって、打率にバラつきがあるはずです。
※あと最近思うんですけど、伝統や歴史を知らなくてもいいじゃん、やったもんがちみたいに言ってる人は、勝負するのが怖いんじゃないかと思うんですよねぇ。だからぬるい環境に・・・。そんな印象受けてます。

話がそれました。
後者は大ヒットも望めますけど、なにより打率は安定しているはず。要は基礎があるから応用がきくんですよね。
こういう発想がすでに保守的なんでしょうけれど、もちろん狙い撃ちでいきたいということもありますが、やっぱりなんの知識もない人のアイデアって結局浅いんですよ。だから人を説得することができないし、インパクト、派手さはあっても実がないというか、ハリボテというか。

今回、朝青龍の件でいろいろコメントしている街頭の人を見ていて、この中でいったい何人が相撲の歴史を知り、伝統を知り、おまけに生で相撲を見たことがあるのかと問いたい私です。

えぇ。私は保守的な人間ですから、どうしてもそこにいっちゃうんですよね。