匠
何でもいい。
“これだけは”という自分の中でまっすぐなものを
早く自分の中で見つけなさい。
これは私が高校時代に、彼氏から言われた言葉です。
うーん、奥深い。
私は職人さんと呼ばれる人にとても憧れます。
現在も。
それはきっと自分の中にいまだに極めたものがないからだと思っています。
私が好んで読む小説家さんやお仕事をお願いするライターさん、はたまた自分が原稿を書く場合など、1つだけ、本当に1つだけこだわっている、というかもう自然とそうなっているとでもいいましょうか、そんなのがあります。
それは、“難しい表現を使わない”です。
これはイコールわかりやすいということにもつながるのですけれど、この“難しい”というのがくせものでして、どこからが人は難しいと感じるか。という結論にいきつくかと思いますが、何を隠そうこのラインと言葉の選びかたこそが感覚やセンスだと思っていますので、私も日々修行なのであります。
ここからは個人的な感覚で記述しますけれど、私が京極夏彦さんとかが苦手なのは、万人に分かりやすく書いてないからというものが理由のひとつに挙げられます。
これは京極さんを知らないかたにはわからないたとえですかね・・・。
では、適切ではないかもしれませんけれど、
たとえば、「青いそら」を表現する際、
“紺碧の空”と使う人よりも“とっても深くて濃い青い色をした空”って書く人のほうが私は好きです。ということですかね。
もちろん、その作品や雰囲気により表現を使い分けていただきたくのは、あたり前田のクラッカーですので、そこら辺は何卒。
より多くの人が“わかる”と思う、わかりやすい表現を好んでおります。
難しいことばなんか使わなくても、人にどれだけこの音楽がよかったか、お芝居がよかったか、料理がおいしかったか、恋人をどれほどいとしいと思っているか、は語れます。
難しい単語? を入れて文章を書くとそれっぽく見えてしまうのですが、実はそういう文章を書くほうがとても簡単で、誰もがわかるような言葉で書くほうがよっぽど難しいのですよー。
特に、とても難しいことを解説している本が、とても読みやすかった、というすごくラッキーな1冊に当たった場合、それは優秀な編集者とライターさんの努力の産物ですね。深くそのお仕事に敬服いたします。
私にとっての“これだけ”はまだ見つかっていませんけれど、ずっと変わらないのは“人がわかりやすいって感じるのはどんなときだろう”という命題です。
これだけは、ずっとぶれていません。
わかりやすい。
とても簡単ですが、これまた奥深い言葉です。