記事の信憑性
いい加減。本気で仕事に支障をいたしています。
それは、ネットに落ちている情報責任の所在。
本日、近年のインターネットの普及に伴う(楽太郎さん風味)ネット社会での人間関係の話を友人に聞いてもらいました。
確かにインターネットって調べものするには便利ですけれど、その“ウラ”というかその記事に対する“責任”ってどうなってるんでしょう。みなさんもよく活用される、wikiは間違いだらけだし。
個人的にネットに落ちている情報は、アイドリング情報として活用し、アイデアを出す際のフックにはなりますが、その情報が企画書を制作する際の根拠として活用されることは、私の場合はゼロです。
もちろん、優秀なwebサイトもありますけれどね。
やはり最終的に印刷物でウラトリします。
編集作業って突き詰めていくと、“わかりやすさ”と“責任”になるのではないかとここ数年感じています。
もちろん印刷されているものだって間違いはありますし、いろいろな解釈があるので、100%ではありませんが(媒体の種類にもよります)、編集者がいるかぎり、そこに責任が生じているわけで、記事に対してなんらかの根拠をもっているため、webサイトよりははるかに確実で正確な情報を発信しているかと、感じます。
#健康系、音楽系、歴史系などの書籍の場合
個人が手軽に情報を発信できるのは、とてもいいことだとは思いますし、書くことがすきな人にとってもとてもいい時代だと感じます。
しかし、その行為は同時に責任も発生するということを、今一度考えてほしいものです。
そして、その責任を負えない人に“書くことがすき”と、軽々しくいってほしくないのです。